横浜漆器(よこはましっき)
横浜の漆器はチェリーラッカーや*芝山細工など輸出向けの製品が主で、一時は盛んに欧米に輸出されたが、現在は衰退している。横浜漆器は安政五年(一八五八)開港の時に江戸の漆器商黒江屋六兵衛、万屋万吉、会津屋徳兵衛らが来て漆器の販売を始め、明治五、六年になって静岡や会津から数人の漆工を移住させ漆器の製造を開始したのが始まりである。明治十二年にはドイツ人ウィンケレルが輸出漆器の粗製なことを嘆いて、自ら漆器製造所を起し素地の改良を計ったりした。その後外人好みの意匠図案で輸出が増大し「浜物」といわれたが、価格競争から粗製濫造に陥り衰退の道を招いた。