山形漆器(やまがたしっき)
山形市は明治大正期に*紫檀塗を特産として栄えたが、今日では仏檀仏具の製造に転じている。歴史的には慶長年間(一五九六ー一六一五)に藩主最上義光が、市区の改正に当って」塗師を一個所に集めて塗師町を作り、家具、重箱、膳などの製作にあたらせ、その南には鞘町をおいて武具を作らせた。その後宝永(一七〇四ー一一)頃には一時衰退したが、安政(一八五四ー六〇)に回復した。明治に入ると紫檀塗が始められ、大正時代にはたびたび東京工業試験所より講師を招いて講習会を開き、漆器業の発展に努めた。また大正七年に県立工業試験場が設けられ漆工部もあったが、十二年に廃した。