堆朱楊成(ついしゅようぜい)
室町時代の*堆朱彫の名工。名を長充といい足利義詮の臣で延文から嘉慶(一三五六ー八八)頃の人といわれる。中国唐の名工張成の楊茂の名一字ずつをとって楊成と称し、以後子孫代々その名を継いだ。二代長辰。三代長貞、足利義政に仕え多くの茶器を製した。四代長 。五代長繁。六代長秀。七代長親、豊臣秀吉に仕え茶器を製した。八代長宗、慶長(一五九六ー一六一五)頃に鎌倉に移って*鎌倉彫の堆朱といわれ、さらに江戸の移り住み、承応三年(一六五四)没。九代長善、延宝八年(一六八〇)没。十代長是、天和三年(一六八三)徳川綱吉より堆朱の用命を受け、以後代々徳川家の堆朱師となる。享保四年(一七一九)没。十一代長盛、享保二十年(一七三五)歿。十二代長韻、明和二年(一七六五)没。十三代長利、安永八年(一七七九)没。十四代長均、寛政三年(一七九一)没。十五代長隆、文化九年(一八一二)没。十六代長英、嘉永元年(一八四八)没。十七代長邦、中興の開祖と称され、安政五年(一八五八)没。十八代国平、明治二十三年(一八九〇)没。なお明治維新に際し、家業不振に陥り廃業したが、その子経長が復興して十九代。二十代豊五郎は芸術院会員となり、以後今日に及んでいる。