琉球漆器(りゅうきゅうしっき)
沖縄県より産する漆器。主産地は那覇市および首里市で、その技法は本州のものと異なり、むしろ中国漆器の製造法に類似している。素地は丸物と板物があり、丸物にはアサグロ、シタマキ、梯梧、栴檀、榕樹などが素材となり旧式の轆轤で挽かれる。板物には大阪より移入した杉材が用いられる。下地は豚の血を用いた*豚血下地で、相当に堅牢である。*上塗は大部分が*朱塗で、それも琉球漆器独特のものである。朱は普通の調合量の倍以上で、さらに漆は多量の油類で薄められ、非常に鮮美な濃紅である。このような油量の多い調合をすると本州では乾燥不能になり、沖縄の高温の気候にして初めてなしうる色調である。また琉球漆器独特の技術である*堆錦のほか、青貝摺や*沈金彫などの技法も行われている。琉球漆器の歴史は古く、室町時代には朱塗の棺が用いられ、また首里城門に掲げてある漆塗の扁額は天正七年(一五七九)の作である。次に慶長十七年(一六一二)には*貝摺奉行が置かれ、寛永年間(一六二四ー四四)には工人を中国に派遣して嵌螺法の研究が行われ、慶長年間(一五九六ー一六一五)には轆轤の使用が始まった。正徳五年(一七一五)には首里の比嘉来昌が堆錦を考案し、この技法は今日まで続いている。明治三十五年には首里区立工業徒弟学校が設立されて漆工科が置かれ、大正三年沖縄県立工業徒弟学校と改称した。また同年以降しばしば講習会を催して意匠や技術の進歩に努め、昭和三年に沖縄県工芸指導所に漆工科が設置され、琉球漆器の研究と指導に従事している。