URUSHI DICTIONARY
弘化四年ー明治二十四年(一八四七ー九一)。金具師小川忠蔵の子で、名は繁治郎。十六歳で*中山胡民の門下となり、*蒔絵を学んだ。明治九年米国に赴き、明治二十三年には東京美術学校漆工科の初代教授となった。主に古典蒔絵を研究して、その模造の技に長じ、遺品が東京国立博物館にある。代表作「布引滝絵長硯箱」。