名古屋漆器(なごやしっき)
名古屋市で産する漆器。名古屋は明治維新までは徳川家の親藩として大藩であったので、召抱えの漆工も数多くいた。また宝永年間(一七〇四ー一一)に帰化人*飛来一閑によって伝えられた*一閑張の技法は、名古屋においてよく行われ文庫や小箱が盛んに生産された。しかし近年はプラスチック製品に圧倒されて産額は非常に少ない。寛政元年(一七八九)には京都の蒔絵師五代春正の*山本正令が来て*蒔絵の技法を伝え、その子孫にも受け継がれて*春正蒔絵と称された。文化年間(一八〇四ー一八)には*塗七宝が考案され、以後行われている。さらに弘化年間(一八四四ー八)には*大喜豊助が楽焼に漆を塗った*豊助楽を始めたが、これは今日ではほとんど行われていない。明治に入ると、廃藩後の旧藩士に授産の意味で、加藤利光により明治十六年塗著会社が作られ、竹材に*渋下地を施した塗著が作られるようになった。大正十五年には黒田忠譲の考案により*硬質漆器が作られ、盆などが輸出用として盛んに生産されるようになった。そのほか名古屋では仏壇仏具も作られている。