長崎漆器(ながさきしっき)
長崎は江戸時代に*青貝細工や*堆朱漆器の産地として栄えたが、明治以後次第に衰退して、今日ではほとんど生産されていない。またかつては青貝の裏に着色し、その上を金銀箔にて被覆して青貝細工の新生面を開いたが、これも今日では行われていない。元和(一六一五ー二四)頃の*螺鈿の名工に*生島藤七と、その弟子の野沢長右衛門がいる。また長兵衛という工人は中国人より青貝細工の技法を学んで青貝の嵌装に巧みであり、後世彼の作品は青貝細工または青貝摺と称された。堆朱彫では享保(一七一六ー三六)頃の工人で、藤七と勘七が知られている。