URUSHI DICTIONARY
姓氏不詳だが、宝永年間(一七〇四ー一一)に大阪伏見町に住み、*印籠蒔絵の名工として知られたといわれる。彼の作は清兵衛のはら印籠と称して賞翫され、のち江戸に召されたが途中箱根の宿で病のため没したと伝えられる。