黒江漆器(くろえしっき)
和歌山県海南市黒江より産する漆器。黒江は全国屈指の漆器の産地で、ヒノキを素材に板物、曲物、挽物と多種多様の漆器を産している。さらに近年はプラスチックや合成繊維板などの*素地による量産が最も大きくなっている。また分業化の完備と*髹漆法の簡易化を推進して、価格を低廉にしているのも紀州漆器の大きな特色である。*下地は多く*膠下地で、フォルマリンを引いて堅牢性を補っている。*上塗は*花塗が主であるが、天龍塗、シルク塗、錦光塗、菊光塗などの*変塗もある。また*ゴム印蒔絵や*沈金彫などの加飾法もある。黒江漆器は天正十三年(一五八五)*根来塗で有名な根来寺の僧徒が豊臣秀吉の討伐にあい、その一部が黒江に逃れて業を伝えたのが起りとされる。寛永年間(一六二四ー四四)には渋地椀が作られ、続いて*錆地による堅地椀が作られ、文政九年(一八二六)になると中川屋長兵衛により堅地漆器の製造が始まった。嘉永三年(一八五〇)には薬種商の堀田幸次郎が漆器業を始め、明治に入ると神戸の外人商館との取引により紀州漆器の海外輸出が始まった。明治十二年には*蒔絵師原山重助が沈金彫の製作を始め、明治三十一年には京都の蒔絵師田中米吉を招いて蒔絵の改良と普及を図った。その後は県漆器試験場との協力で、品質の向上や意匠の改善が行われ、昭和二十四年通産省より重要漆工集団地に指定された。