高台寺霊屋(こうだいじれいおく)
桃山時代、*幸阿弥家系作。重文。高台寺は豊臣秀吉、北政所の廟所であり、秀吉夫妻を祀る霊屋は伏見城の遺構を移したものといわれる。須弥壇上に向かって右に秀吉、左に北政所高台院の木像を安置した厨子があり、この厨子、須弥壇及び段階などに*蒔絵が施されている。これらはすべて*黒蠟色塗で、秀吉の厨子扉の表側は薄に桐紋の文様で、薄の葉脈は針の引掻法を用い、葉上には銀鋲を打って白露としている。裏側は楓に桐紋、高台院の厨子扉は表裏とも松と竹を*平蒔絵で表わしている。須弥壇の框から高欄や柱には楽器、階段には流水と花筏が描かれ、金平蒔絵と*梨地で表わされている。花筏の木材を金と梨地で交互に描くなど*高台寺蒔絵の特色がよく示されている。作者は戦後、秀吉の厨子扉裏に「ふん六五年十二月云々」「幸阿弥云々」の針描き銘の発見と、昭和三十一、二年の解体修理の際、高欄地覆などに「新次郎」「井衛門」の墨書が見出された。恐らく文禄五年(一五九六)、幸阿弥家系の人達によって造られたのであろう。