幸阿弥長重(こうあみちょうじゅう)
慶長四年ー慶安四年(一五九九ー一六五一)。*幸阿弥家十代。七代*長晏の三男で、幼名新次郎のち与兵衛と弥した。早くから他家の養子となって出ていたが、兄*長法が*蒔絵を捨てて仏門に入ったので、家に帰ってその後を継いだ。元和六年(一六二〇)兄長法が製作中であった東福門院入内の諸調度蒔絵を完成して り、寛永七年(一六三〇)には明正天皇即位の調度蒔絵を家光に命ぜられ、狩野探幽の下絵により製作した。また同十四年(一六三七)から三年を費して、家光の長女千代姫と尾張徳川家二代光友の婚礼調度を製作した。この「*初音蒔絵三棚」は現在徳川美術館に伝わっているが、*高蒔絵・*研出蒔絵・*梨地・*彫金その他からゆる技法を駆使した豪奢なもので、長重の代表作といえる。なおその他にも将軍家や諸大名の命により、数多くの調度類を調進した。