URUSHI DICTIONARY
寛文元年ー享保八年(一六六一ー一七二三)。*幸阿弥家十二代。*長房の長男で、名を与次郎のちに与兵衛と称する。号名は初め長好といい、のち長道と改めまた長救と号した。貞享元年(一六八四)に徳川綱吉の息女の婚礼調度に蒔絵をし、元禄二年(一六八九)には日光東照宮の宮殿の蒔絵に際し、古満久蔵と共に頭取となった。