幸阿弥長房(こうあみちょうぼう)
寛永五年ー天和二年(一六二八ー八二)。*幸阿弥家十一代。*長重の長男で名を与惣次郎、のちに与兵衛と称し、延宝三年(一六七五)入道して法体となり長安と称した。家網の命を受けて明暦二年(一六五六)には後西天皇の、寛文三年(一六六三)には霊元天皇の即位調度に*蒔絵を施し、その他の天皇や将軍家や諸大名の調度を作ることが多かった。また延宝八年(一六八〇)に家網の廟を東叡山に造営する際には、*菱田房貞・*奈良雪勝・鈴木正備・栗本光屋・栗本信親・榎本寛継らと扉四枚に*蒔絵を製作した。