幸阿弥長晏(こうあみちょうあん)
永禄十二年ー慶長十五年(一五六九ー一六一〇)。*幸阿弥家七代。*長清の長男で名を久次郎という。入道して法橋に叙せられる。十五歳の時、父と共に豊臣秀吉の御前で香盆に鶯を蒔絵して献じ、賞せられたといわれる。天正十四年(一五八六)に秀吉の命により、後陽成天皇即位の調度に蒔絵を行い、加賀太守息女の婚礼調度の際にも濃梨地に松橘の蒔絵を製作した。慶長五年(一六〇〇)徳川家康より扶持六十人分を賜り、同十五年(一六一〇)には秀忠より二百石を授けられて江戸に召されたが、その途中遠州見付駅で誤って落馬し没した。なお高台寺霊屋の秀吉厨子扉の裏に針書の銘があり、文禄五年(一五九六)に長晏などが蒔絵をしたことがわかる。