URUSHI DICTIONARY
*古満巨柳の門人で、もとは板内重兵衛といい、巨柳と同様に師家より古満の姓を許され寛哉と号した。なお『古満家系図』には天保六年(一八三五)に没し、長男が二代寛哉と称し寛政四年(一七九二)に没したとあるが、これは父子の没年を逆に記したものと思われる。「蟬蒔絵印籠」に「寛哉」の銘と書判があるが、これは二代寛哉の作と思われる。なお二代寛哉の門下に*柴田是真がいる。