金輪寺(きんりんじ)
*棗の一種。禁輪寺・金林寺とも書く。後醍醐天皇が吉野山で一字金輪の法を修められ、衆僧に茶を供せられたときに、山の の木株で作ったと伝えられるものである。室町・桃山・江戸時代と通じていくつもの模作が作られている。江戸時代初期までは濃茶器として使われ、中期以後になって薄茶器として用いられるようになった。置蓋作りで、寸切のような胴をし底は直角になっている。塗りは外が*溜塗で、内が黒漆塗のものが多く、他には外が*摺漆で内側が黒漆塗のものがある。蓋裏に「勅」の字、底裏に「甘一内」の文字がある。勅は勅願を意味し、甘一内は法華経二十八巻の内の一つであることを示すものであろう。