金沢漆器(かなざわしっき)
石川県金沢市産の漆器。輪島・山中が実用漆器であるのに対し、金沢は美術工芸的漆器として名高い。製品は高級家具、茶道用漆器、調度品などで、板物素地にはイチョウ、アテ、挽物にはケヤキや*イタヤが用いられる。*下地は*布着せや*紙着せの上に*漆下地したもので、*切粉地を地と称する。そのほかいわゆる。*加賀蒔絵や仏壇の生産も盛んである。*蒔絵は寛永年間(一六二四ー四四)に藩主前田利常の招きに応じて来た*五十嵐道甫により始められ、正保年間(一六四四ー八)には前田綱紀の招きで来た江戸の*蒔絵師* 原市太夫が、主に印籠に蒔絵を施し加賀印籠の名をのこした。以後その門人たちに技術が伝えられたが、清兵衛、亀之亟、五十嵐宗平、与右衛門、長左衛門などが良工として名高い。慶応二年(一八六六)藩主慶寧の命で加賀物産工場が建設され、その中に漆工方があって鶴来又右衛門が蒔絵を監督した。維新の際には一時衰微したが、明治十五年に描金工同盟が結成され、明治二十一年に描金職業組合と改称、明治二十七年にはさらに金沢描金製造組合と改称し、蒔絵の研究が行われ金沢漆器の地位が高まった。当時の名工に五十嵐他次郎、*沢田次作(宗沢斎)、*浅野惣三郎などがいる。また*髹漆では永井与兵衛が*紗の目塗を発明し、続いて遊部、越村、高木、鶴田などの名工が*布目塗を盛んに製作した。高木は馬毛を用い、鶴田は紗を用いた布目塗で、その後大垣昌訓が*置霜塗を考案した。なお明治二十年には石川県立工業学校を設立して髹漆科と描金科が置かれ、大正九年には県立工業試験場を設置して漆工部が設けられ、それぞれ技術者の養成や漆器業の発展に貢献した。