本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)
永禄元年ー寛永十四年(一五五八ー一六三七)。刀剣の鑑定、研磨を業とする次郎左衛門の子として生まれ、幼名を次郎三郎という。書が寛永の三筆と称されるほか絵・陶磁・茶道・*蒔絵などをよくする多芸の人であった。蒔絵においては古典に題材を求めながらも、意匠構成が斬新で、材料の使用法も大胆かつ適切であり、従来の蒔絵を一変して独自の様式を打ち立てた。特に*平文や*螺鈿など伝統的な技法を、金や青貝のほか鉛や錫といった新材料も駆使して新しい効果をあげ、のちの*尾形光琳などに大きな影響を与えた。ただし技術的な面は門下にゆだねて、光悦自身は意匠の着想や指導、あるいは作業の監督などにあたったものと考えられる。代表作は「*舟橋蒔絵硯箱」「子日蒔絵棚」。