URUSHI DICTIONARY
文化十四年ー明治十五年(一八一七ー八二)。鞘塗師の家に生まれ、幼名を市三郎といった。彼は姓名の頭字を取って常に橋市と称し、作品には「はし一」の烙印を した。明治四年に廃刀令が出てからは鞘塗をやめてその手法を花器・煙管筒・漆器などに応用し、ことに*竹塗を最も得意として橋市の竹塗と称された。なお門入を養子として二代橋市の名を継がせた。