半田漆器(はんだしっき)
徳島県美馬郡半田町より産する漆器。現在は食卓や膳、盆などを産するが、江戸時代には椀類の大産地として有名であった。半田漆器は大久保弁太郎累代の功績によるところが大きく、その祖先は元暦年間(一一八四ー五)に開業したといわれる。近江国筒井から移住してきた*木地師の救済と国産を興こす目的で諸国より漆工を集め、同国三好郡山城谷地方産の*生漆を用いて椀類の生産を行った。天明年間(一七八一ー九)には大久保弁太郎の資金援助で藩庁の漆器問屋が設けられ、文化九年(一八一二)には大久保辰五郎が藩命により漆樹の栽培を行った。さらに文化十二年(一八一五)には会津より蒔絵師を招いて技術を改良し、嘉永四年(一八五一)には江戸に販路を拓いた。明治に入っても関西方面を販路として栄えたが、明治十五、六年頃より衰退し、のち県や業者の協力で復興した。なお関西地方で*膠下地を*半田地とも称するのは、半田から出たからだといわれている。