箱根漆器(はこねしっき)
箱根では江戸時代に箱根道路が開通した頃から漆器が作られ、参勤交代の藩士や旅人に水吞丸膳が売られていたといわれる。嘉永年間(一八四八ー五四)に伊豆の下田に外国船が来ると箱根漆器が試売され、されに安政五年(一八五八)横浜開港後は木皿などが輸出され、会津やその他の地方から漆工が集まって盛んになった。明治に入ると小田原でも生産するようになり、欅や栓を用いて木目を見せた*摺漆や透明ラッカー塗のものが作られた。今日では挽物類、特にサラダボールの生産が多い。また近年川崎市や藤沢市でも漆器を産するようになった。