会津塗(あいづぬり)
福島県会津若松市より産する漆器の総称。*挽物素地には橅や栃、*板物素地には朴や桂が用いられ、*渋下地に*花塗の*上塗としたものが多く、椀、膳、盆、二段重箱などが作られる。また*朱塗の木杯や*会津独特のもので、会津漆器の大きな特徴となっている。この地の漆器業は非常に古く、足利時代の蘆名盛信の頃にすでに平家の落人により椀類などが作られていたと伝えられる。その後天正十八年(一五九〇)蒲生氏郷が近江より会津に封ぜられると、漆器業を保護奨励して基礎を築いた。その後の上杉景勝や加藤嘉明もその発達に意を用い、漆樹の栽培を奨励した。寬永十九年(一六四二)に領主となった保科正之は種々の産業政策や制度の整備を行って、漆器の産業体制を確立し、会津中興の祖とされる。その後も板物の開拓や、渋下地の採用、*蒔絵や金箔、金粉の製法伝授などで発展を続け、文政から弘化(一八一八ー四八)にかけて全国にその名をとどろかし、中国やオランダを通して輸出も行われた。しかし、戊辰の役(一八六ー九)で漆工が四散して潰滅状態に陥り、明治十年頃になってやっと回復した。ところが今度は業者間の競争のため粗製濫造の弊に陥って信用をなくし、明治三十四年に同業組合を設立して不良品の防止に努め、信用の回復をはかるようになった。また昭和二十四年に通産省より重要漆工集団地の指定を受け、昭和三十八年には会津漆器生産団地が作られた。なお会津若松市の北の喜多方市よりも会津塗を産する。